<本名> 池端秀之
和歌山県海南市生まれ。
印象分析を得意とするコミュニケーションメイク®の創始者。 高齢化社会貢献のため認知症予防にもなるメイクの勉強に渡米。東京、大阪でメイクアーティストの勉強を重ね、 独学でメイク力、カラー力のノウハウを持ち、女性個人の魅力を最大限に引き出す事には定評がある。
認知症予防のために行って来た老健施設ボランティア活動での長年の経験を活かし、いかに高齢化の中で、 美を意識した生き方が健康に必要かを説くメイク健康法などでも各方面より高い評価を得ている。
現在は、ビジネスメイクアップの専門家として、オンラインに特化したメイク講座など、心理学と脳科学に裏付けされた独自のメイクアップ法、脳タイプ別コミュニケーションメイク®でお仕事をされている女性のコミュニケーションスキルアップ、集客や成約率を上げるサポートをしている。 詳細は → カリスマ和美人本講座
著書/決め手は1ミリ!美眉メイク 一般社団法人日本メイクアップアーティスト協会JMANの理事長、検定委員 全国カリスマ講師養成クラブ認定講師、カリスマ和美人®プロデューサー 生活習慣病予防士、メンタルケア心理、ヘルパーなどライセンスも多数
NHKテレビ、和歌山テレビ出演、近畿理容競技大会ヘアメイクレディース優勝 日本を代表するメイクアップアーティスト集団、一般社団法人日本メイクアップアーティスト協会JMANの理事長 も務めながら関西を中心にメイクの普及と講演活動に力を注いでいる。
一般社団法人日本メイクアップアーティスト協会JMAN
またカメラマンとしても多彩な能力を発揮。数々のコンテストで優勝経験を持つ彼がとらえる視点からは、様々な美の表情・物語が創り出されている。
活動記録はこちら ⇒ http://kewaishi.jp/activity-log
平成23年7月現在
これを見たら 誰もが自信の出るおまけ写真(97年度) これでも誰よりも若くて イケテルと思っていた自分(笑)
【好きな言葉 <人生8変化>】 自分の人生は、運命によって変わる。 その運命を引き寄せるのは、人の出会いによって変わる。 素敵な人と出会う為には、素敵な人格を持たねばならない。 その人格を持つには、考え方や性格を変えねばならない。 性格を変えるには、生き方の習慣を変えねばならない。 習慣を変えるには、日々の行動を積み重ねなければならない。 その行動を起こす為のキーは心、 熱い熱い心がないとターボエンジンがかからない。 熱い心になるには、いつも素直で謙虚でいること。
心→行動→習慣→性格→人格→出会い→運命→人生
一滴の小さな心が、やがて小川になり、大河になり、広く深い大海をつくり出すものと信じています。 すべては、一足飛びには行かないものなんですよね。
所詮、今さら、もう年だから、・・・とか言わないで小さな事からコツコツと一緒に積み重ねて行きましょう。
平成26年3月現在
<化粧師秀になる前の池端秀之とは>
以下 和歌山新報新聞社 濱口道和氏による「よこ顔の先に」の記事より
「トコトンやりきる姿勢」 「女性の元気を通じて社会の活性化を目指す!」
取材中、何度となく出た言葉「人に影響を与えられる生き方をしたい」。 「化粧師(けわいし)」という仕事をご存知でしょうか。江戸時代に実在した職業で「化粧は心にするもの」と女性を諭し、化粧を通して生き方まで変えてしまう仕事です。 その化粧師を平成に復活させた池端氏の原点は幼い頃の父の背中にさかのぼります。
それは、自営業者であった父の働く様を見て育ったためか、幼いながらに「自分も何か商売をしたい」と思うようになります。貧しい幼少時代、小学生ながら父の牛乳配達を手伝います。 中学時代は「盆栽が好きで近所のお年寄りに可愛がられる優しい子供だった」と話しますが、大人しいだけではありません。洋楽バンドに励み生徒会長にも選出されます。
高校は自分の力で学費を捻出、仕出し屋・市場の警備・新聞配達を掛け持ちながら、当時ドラマで流行っていた「兄貴分のような熱血教師」に憧れます。何事もやりきる性格、教育大学を目指し猛勉強しますが、家庭の事情で夢を断念せざるを得ませんでした。
高校卒業後、知人のすすめで就職した自動車教習所で「指導員」という職務を見つけます。
そして、学生時代に断念した「教える」という職種を獲得るために、観光バスや大型特殊車両など当時取得可能な自動車免許を全て取得し、指導員としての幅を拡げます。
ところが、その教習所が2年後に倒産、苦労して手に入れた職を失います。そんな時に運命の同窓会が催されるのです。久しぶりに出会う旧友の中で失業の話をしていると、ファーストフード店で店長を務める友人から「人手不足だから手伝いに来るか?」と声を掛けられます。
職を選んでいる状況ではなかったので深夜の皿洗いから始める事にします。「何事もトコトン」の精神はここでも発揮されます。23歳で社員から副店長へ、24歳には3店舗の店長を歴任し、その功績から27歳で営業教育課長に昇進します。
現場の中心となるアルバイトの学生に接客やマナー、お店のポリシーやお客様への思いやりなど、「社会人」としての教育をしながら、ファーストフード産業は外食産業ではなく教育産業だと気づきます。
同窓会が縁で始めた皿洗いから切望していた教育の仕事へ。それは偶然ではなく何事もやりきる姿勢から生まれた必然です。「各店長やスタッフからは鬼のトレーナーと呼ばれながらも兄貴のような熱血先生を経験させてもらいました」と振り返ります。
しかし、会社が急成長すると共に熱血と現実の歯車が噛み合わなくなってきます。
「このままでは自分が自分でなくなる」と判断し34歳の10月に退職します。
会社を辞めたものの、次に何をするのかは全く決まっていませんでした。とりあえず生活のためのアルバイトを始めると同時に、お世話になった方々に挨拶状を出します。
多くの方々からの激励の言葉をもらう中で、かねてより興味のあった「美・健康・インターネット」というキーワードに合致する方との縁があり、化粧品の販売を始めます。
コレと思ったらトコトンやり切る性格が発揮されなんと全国レベルで表彰されるまでに!
反面、頑張るほどその商品や販売方法に限界を感じると共に、化粧品そのものより、それを使った後の女性の内面的な変化に興味を持ちます。 「女性が本当に欲しいのは化粧品ではなく、化粧による見た目の美しさでもなく、化粧した事で得られる自信なのでは」と考えます。
以後アメリカ、東京で知識を蓄積し独自のメイクアップ技術とノウハウから「コミュニケーションメイク(商標登録)を構築します。
最初に取り組んだ女性層は高齢の方です。今も昔も年齢と共に化粧しなくなる女性が多い中、化粧を思い出す事でもっと人生に前向きになれるのではと考え老人施設を訪問し、そこで暮らすおばあちゃんにメイクを施します。
するとどうでしょう!鏡を覗き込むおばあちゃんの目が輝いたのです。「化粧の力で女性の生き方が変わる」と確信、江戸時代に実在した「化粧師(けわいし)が復活した瞬間です。
それからはメイクを通じ、また輝いた瞬間を残したいとの要望から自らのフォトスタジオでシャッターを切りながら、各世代の女性がより積極的に活き活きと元気に生きるための自信を提供しています。
「秀さんと出逢って人生が変わった」。「化粧師(けわいし)と言う職業を200年以上の歳月を経てこの21世紀に復活させ、今また新たに、映像や音楽の世界でも活動を始めた池端氏の原動力は「自分の生きた証し」を数多く残す事。
それは自分に関った人が幸せになると言う事でもあります。 さぁ、あなたも「人が幸せになる仕事」を行い、生きた証しを残しませんか?
今週の言葉 ~人が幸せになるビジネスは自分の生きた証しとなる~
※上記は2010年11月に掲載されたものです。
趣味は、アクアリウム、旅、キャンプ、映画、ギターなど
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