一本足の彼から学んだ 「たとえ何かが欠けても いつもどおりの元気な笑顔」

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今から25年前、当時の職場の仲間で、

余命を告げられ骨肉腫で足を切断し、ギブスの根元から出血しながらも

痛いとも言わず普通の人と同じ様に店に立って仕事をしていた男がいました。

負けず嫌いの彼は、皿洗いから社員、副店長になり、

しまいには大きな店を任される店長にまでなりました。

最初は諦めかけていた彼女も出来て、その彼女と結婚、娘まで出来ました。

余命宣告の事など忘れたかの様に、いつも豪快に笑い、ユーモアたっぷりに

周りの人たちを笑わせ、元気づけ、勇気づけていました。

同い年の娘を持つ僕たち家族とパンダを見に白浜に良く行きました。

早いものでその娘達は、もう25歳になろうとしています。

彼は、僕たちの誇りでした。

余命宣告の何倍もの月日を生きてくれました。

その生き様、表情、声、思いを今も僕は忘れた事がありません。

その彼の分まで、僕は僕の出来るうる事で精一杯頑張らねばと今に至ります。

改めて自己紹介をします。

僕は15年間飲食業界での店長やスーパーバイザー、ガチガチの管理職、

そして鬼の教育トレーナーと言われる様な経験を経て34歳で脱サラして起業してまいりました。

独立当初2001年、「これからは若返りと健康とインターネットを融合したビジネスだ!」と

全く畑違いの業界に入り最初は化粧品を販売する事になりました。

その化粧品を使ってくれるお客様の立場になる!との思いから、

スキンケアや化粧にとことん興味を持ち女性に生まれ変わったかのごとく

日々勉強してまいりました。

その流れのお陰で、先入観なしに世の中の美容と言うもの、化粧と言うものを

誰よりも客観的に、冷静に分析出来ている化粧師と自負しています。

だから

化粧をコスメと言う感覚に捉えず、これからの社会に役立つ

コミュニケーション学と考えコミュニケーションメイク®を提唱しています。

皆さまは“化粧”と聞いてどんなイメージが浮かぶでしょうか?

“化けて装う”と言う様な言い方をする方もいらっしゃいます。

塗り隠す的なイメージで言われる方も多い様に思います。

化粧の歴史は古く日本では縄文時代ごろより、当時は魔除けとして、

悪魔の侵入を防ぐ色が赤とされ、赤土の泥を顔に塗っていたのが始まりとされています。

そのDNAが引き継がれ、顏を塗り隠すと感じる方もいらっしゃるのかもしれません。

そして現在社会においても、当時の悪魔に変わる様なものとして、電磁波、紫外線、

大気汚染、悪い誘惑、詐欺、ネガティブな事件、事故など、訳のわからない多くの

不安、恐怖、ストレスなどから自分の身を守ると言う感覚があるのかも知れません。

また江戸時代には、化粧と書いて”けわい”と読み、化粧は身だしなみ全般の事をさし、

相手に対する心遣い、気配り、思いやりとも捉えられていたそうです。

その大切な思い、伝統文化を継承しつつ、

自分を元気にしながら周りの人々を元気にする積極的で健康的な化粧道、

心のお化粧法を平成の化粧師(けわいし)こと池端秀之が、お伝えしたいと思います。

人はついつい過去の若さを羨み、人と比較しては羨み、

自分のコンプレックスばかりが目につき、

加齢とともに自分の良さと言うモノが見えにくくなるのでしょうか?

「化粧それは、過去を隠すための術じゃなく 未来の素顔を磨くための”トキメキ”心のレッスン」

誰だって年はとります。加齢は誰にでも平等で、決して免れられません。

でも心の持ち方で、老化スピードを遅らせたり防止出来るのなら、

それにこしたことはありませんね。

所詮、今更、もう年だから、と愚痴ばかり言っている人は、どんどん老化しますよ(笑)

今だから出来ること

今からだからこそ出来ること

たとえ何かが欠けていたとしても

今あるものだけで

まだまだ若いんだから! と・・・

どんどんプラスの言葉を自分に投げかけ

自分が将来願っている姿に向かって一緒に頑張って行きましょう!  

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